現象学入門: 新しい心の科学と哲学のために
https://m.media-amazon.com/images/I/91t2y9fpyUL.jpg
2018/7/31
独特の専門用語や論述の難解さで知られる現象学を、英語圏の哲学に特徴的な明晰な論述スタイルで解説。現象学の中心的なテーマは今日の身体性認知科学にこそ最も鮮明に受け継がれている、という独自の観点から、心理学や認知科学との関係に重点を置いて現象学の歴史と現代の展開を描き、その魅力と可能性をわかりやすく生き生きと示す。 読書会とか輪読会みたいな感じで、複数人で読みたい気持ちがあるblu3mo.icon どなたか興味あれば〜blu3mo.icon
興味あるcFQ2f7LRuLYP.icon
現象学も哲学も何も知らん素人でもなんとかなるんかな?
やってから考えることにした。
序の時点で難しい
どういう方針で行くかなー
未来の自分が見たときにわかれるように頑張ろうかな
にしても難しい
がんばれてなさげ
興味はあるがnishio.icon
本は自分のペースで読みたい派
なんだかんだ自分は自分のペースで読んでこのページに追記しているblu3mo.icon
買いましたdokudami.icon
読んで気が向いたら追記しますdokudami.icondokudami.icon
買いましたbiwa.icon
読み始めました
言い出しておいて、自分が読めていないblu3mo.icon
明日から読みたいblu3mo.icon
Scrapbox上の議論がだんだん面白くなってきたので本も買いましたnishio.icon
現象学に関しては「たまに話題に上がるけど時間を割く価値のあるものかどうか疑っている」という状態で今までスルーしてたけど「Scrapbox上で哲学書を読んで議論する」という経験に対してポジティブに感じた結果、価値見積もりがプラスになった
1.5ヶ月に1回くらいやってる勉強会の準備が来週あるのだけど、それのテーマは別のものに決めてるので、ガッと読むのは1.5ヶ月後か3ヶ月後かなーという感じ
序
現象学において最も重要だとされていることのひとつは、共有された客観的世界というものを理解可能にする構造に説明を与えることである。その説明においては、身体や技能が共有された客観的世界の理解可能性にとって基礎的であるという認識がある。私たちはこれが現象学における最も重要で最も生産的な系譜だと考えており、本書の狙いは、この成果、および、 それが知覚・行為・認知にかんする現代の研究に対してもつ含意を明快に説明することにある。 なるほど、簡潔に内容がまとまっているblu3mo.icon*2
他にも芸術とか美とか宗教とか色々な話題に現象学は応用されがちだけど、そこまでは本書は扱わない、と言っている
特にわからん語句
ここではデザイン的な文脈を外しとくほうがよさそう
認知科学や心理学への系譜が繋がっていて、それらは「現象学を実践している」
1. カントとヴント
なぜカントから話を始めるのか?
現象学の系譜に連なる人たちがみなカントの考えの直接的影響下にいるから
一方で、これらの人々はカントを強く批判もしている
批判した上でその上に積み上げている感じかなblu3mo.icon
対象が主で「認識」が従ではなく、「対象が私たちの認識にしたがわねばならないと想定して」話を進める
たとえば「🍎」があるとするcFQ2f7LRuLYP.icon
普通それに見たり触れたりして「りんごがある」と認識する
(りんご経験)
この「認識」に関して
従来:「🍎」が存在していて、それを観測者cFQ2f7LRuLYP.iconが感覚を通して「りんごだ…」と認識する見方
経験以前に「🍎」があるという感じか?
カント:対象が認識に従う
具体例出せんなァcFQ2f7LRuLYP.icon
ある人が「か」という音があると思っているnishio.icon
この時、本当に「か」という音があるのではなく、ある範囲のインプットを「か」だと考えてるだけにすぎない
これは客観的に対象物が存在するのではなく、主観的な解釈に過ぎないので、当然人によってどの範囲を一つの概念とするかは異なる
分かりやすい例示blu3mo.icon*2
あとの「直感」と「概念」を使ってみよう
直感:
「🍎」を見たり触ったりして「センス・データを受容する」
赤い、投げれそう、皮がある、凹みがある、叩くと小さく音がする
時間的・空間的な配置が存在する
概念:
感覚を通して得た心的内容を、構造化してとらえるための規則
失語症の研究でカテゴリー能力を失った人の話を万葉集抜書で読んだcFQ2f7LRuLYP.icon 視界のrgb値の集合みたいな感じのセンスデータを「りんご」と認識するような能力を持っていないと、「りんごがある」と認識できない、という事?blu3mo.icon そのために、まずセンスデータ=直観を秩序づける能力(=カテゴリー)が必要
rgb値の集合である直観を、「視界の中にまとまった赤いエリアがある」とまず認識する必要がある
その上で、それをリンゴと名付ければ「りんご」という「概念」を認識できる
これを悟性, understandingと呼んでいる 人間の認知の仕組みとして悟性は先天的に存在する、ということかなblu3mo.icon
具体的には、空間、時間、カテゴリーがアプリオリな悟性? なるほどcFQ2f7LRuLYP.icon
https://i.stack.imgur.com/bN2iA.png
まず「輪郭」みたいなlow-levelな特徴を捉えた上で、より具体的な特徴を見る感じ
CNNは、空間概念こそa prioriに持っているが、一切のカテゴリーを持たずに概念をa posteriori/経験的に学習できているんだよな これはカントの主張への反論になる?blu3mo.icon
カントは、人間とはまるっきり異なる種類の認識者が存在しうることと、その認識者の心は概念を全く必要としないだろうことを認めている と書かれている (p7) ので、反論にならない気がするbiwa.icon
後ろで、その存在の例として神を挙げているけれど、AIもその種の悟性な気がする
「概念を経験的に学習」できているのだろうか??nishio.icon これ「概念」という言葉の定義によるな…
ニューラルネットが猫画像Aと猫画像Bを似たものだと判定することができるとしても、そのニューラルネットが「猫」という概念を持ってるかどうか…
概念の定義を確認した結果、CNNは概念を獲得できてないと思った カント以前の主張との比較:
これまで、 私たちの全認識は対象にしたがわねばならないと想定されてきた。
ここまではわかるnishio.iconblu3mo.icon
しかし、私たちの認識を広げる概念を通じて、対象について何かをアプリオリに見いだそうとするすべての試みは、この想定のもとではうまくいかなかったのである。
これは、Kantの純粋理性批判の冒頭らしいblu3mo.icon 具体的に、何がうまくいかなかった?blu3mo.icon
ここの文章がそもそもよくわからないnishio.icon
結論合理論の事を批判しているblu3mo.iconnishio.icon 空間と時間について
私たちは、 何らかのセンスデータを得るうえで空間と時間の表象を持ち合わせている必要があるのであって、 空間と時間の表象を私たちに与えられているもの〔センスデータ〕から引き出すことはできない。だから空間と 時間はアプリオリな直観なのである。空間と時間は概念ではない。 なるほどblu3mo.icon*2
まだ繋がらない断章cFQ2f7LRuLYP.icon
えーと、カントが1804年没でソシュールが1857年生まれだから、ソシュールはカントのコペルニクス的転回を知り得たわけだが、知った上で「言語と記号の結びつきは恣意的であって文化によって異なる」って話をしたのかな、知らずにやったのかな、ちょっとわからなかったnishio.icon
自分の理解blu3mo.icon
「もの」が世界にあって、それをどうやって認識しているんだろうと考えていた
プラトンが「イデアを思い出すのが認識なんだ!」と言った流れnishio.icon
対してKant: 世界のものを直観で受け取った時、それを人間が先天的に持っている「もの」という枠組みに当てはめて認識している 経験論への反論:そもそも時間とか空間とかの最低限の先天的な枠組み(=悟性)を持っていないと、何も認識できないから何も学べなくない?と
経験的でない真理についての説明、すなわち、必然的に真であるような命題と、世界についての特定の経験によらず確立できる真理のこと(p.3)
そもそも形而上学とはなんぞやcFQ2f7LRuLYP.icon これ非常に長い話になりそうなんだよなあ
取り急ぎ感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟で認識しようとする学問ないし哲学の一分野という理解でいくか
認識の2つの軸
1. 直感 intuition
「感性」:対象から作用を受ける能力。その心的内容を「直感」という 直観 = センスデータとするのは正しい?blu3mo.icon
未定義語が多すぎて判断つかないなnishio.icon
「心的内容」という言葉に深い意味や定義があるかどうかによる
カントが明確に定義して深い意味で使ってる可能性はあるが、この本のスコープにおいてはどうでもいいことみたいだな(索引にないので)
というわけで「カントに遡るとイコールではなく区別してる可能性があるが、この本を読み進める上ではイコールとみなして良い」が僕の結論
2. 概念
経験の構造化
概念に基づいて経験を整理・組織化する
「組織化」だけ取り上げると、以下の記述は分かりやすかった久住哲.icon
(……)だから、ぼくらは『実体』とか『性質』とか『個数』といったカテゴリーについて語るんじゃなくて、カテゴリーに従って、たとえば『赤いリンゴ五つ!』とか言うんだよ。(……)そうすると、果物屋は、まず『リンゴ』のある場所へ行って、次に『赤い』のを、最後に『五つ』選ぶんだ。この順序を変えられると思うかい?まず個数の『五つ』から始めて、次に『赤い』性質、最後に『リンゴ』なんてこと、想像もできないだろう?果物屋のこの必然的な行動形式の中にカテゴリーが示されているのさ。 概念は、センスデータを悟性で解釈(?)した上であてはめるラベルかなblu3mo.icon
「解釈」という言葉が未定義だが、一般的な意味ではそう考えてよさそうnishio.icon
認識は直感と概念の両方を必要とする
この二軸の特徴を持つカントの認識論は、 かなり急進的である。らしいcFQ2f7LRuLYP.icon
「カントがそれを言い出した時代においては」ねnishio.icon
それまでの哲学者はずっと「どっちなのか」で争ってた
「どっちなのか、という問いがおかしい、両方だ」と言い出してカントが有名になった #誤った二者択一 カントは「アプリオリな直感」と「アプリオリな概念」があると信じている(らしい)
この両者が形成するのが「形而上学的な知識」(非 - 経験的な知識)
p.6nishio.icon
ほんとかなと思ったが確かにそう書いてあるな
あらゆるセンスデータは空間的かつ時間的なものとして与えられるので、空間と時間は「アプリオリ」な直感である
センスデータが空間的は嘘かと思う
VR HMDで砂嵐を見せられたら、それは空間的センスデータではないと思うblu3mo.icon
時間的は分からない
なので、空間と時間が感性で処理されるもの(直観)であるという主張には納得がいかない
まあでも他の概念より前段階で処理されていそうなイメージはある
感性(直観)と悟性(概念)の二分には違和感があるblu3mo.icon
人間の認識には情報処理の順番がある
前の方が直観で、後の方が悟性
ということではblu3mo.icon
人間の観点のみから対象は理解可能であるというカントの見方
分からん、わかりたいblu3mo.icon
「超越論的」transcendentalな哲学とは
経験の構成についての哲学的分析
なんか「実在」の話をしている
「世界にあるもの」をどう捉えるかという点で色々な立場があって、
人間の経験とか認識をベースに考えつつ、それらが客観的に実在はするよねと認める、という立場がカント?
あんまり入ってこないので一旦読み飛ばすblu3mo.icon
意識が色々な情報を統合して知覚しているよね、とかの話をしているみたい
そこの統合のことを「総合」と呼んでいるみたい
現象学とカントの繋がり p12
引き継がれた大事なこと: 主観的な構造が何かしらの仕方で経験の対象を構成するという考え方
これは分かってきたなblu3mo.icon
ハイデガーもメルロポンティも、カント哲学の認知主義を拒否している 全然ピンとこないので、後でハイデガーとかを理解してから戻ってくるかなblu3mo.icon
ヴントの話
カントは科学として心理学無理やろと言っていたけど、ヴントはいけるやろと言った
その後の現象学者はヴントを批判しがちだったらしい
この章は、その後の現象学者たちが影響を受けつつ批判したものを先に紹介している感じだな
2. フッサールと超越論的現象学 p23
目次
1. カントとヴント
2. フッサールと超越論的現象学
3. ハイデガーと実存的現象学
4. ゲシュタルト心理学
5. メルロポンティ 身体と知覚
6. サルトル 現象学的実存主義
7. ギブソンと生態心理学
9. 現象学的認知科学
科学的心理学の物語: 1, 4, 7
超越論的現象学の物語: 2, 3, 5, 6
一言に現象学といっても
は重要な点で異なってるらしい(p.24)nishio.icon
フッサールはこの段階を 「カッコ入れ (bracketing)」、 もしくは信念を停止する意味のギリシア語で 「エポケー (epoche)」 と呼ぶ。 p.34 「例えばGoogle Chromeは」とか例に出してくるのウケるなnishio.icon
ルンバの話とか出てくるの面白いな
p241のロボット面白いなnishio.icon
ロボットの制御システムを遺伝的アルゴリズムで作ったらノイジーなニューロンを中心とするフィードバックになった、という話
センサー入力がなくても内因的な振る舞いをする
訳語ツッコミゾーン
だよねnishio.icon
二進法的
これTrueかFalseかの「二値」であるという意味の「binary」を「二進法的」と訳してしまってるのではという気がするnishio.icon
ハイデガーは、 まず第一に、 私たちの世界経験が明示的 に認知的でも心的でもないことを注意深く指摘し、 自分の現象学をデカルト主 義的な見方から遠ざける。 (p.66)
私たちの世界経験が明示的 に認知的でも心的でもないことを注意深く指摘しは私たちの世界経験が認知的でも心的でもないことを明示的に注意深く指摘しじゃないかな〜nishio.icon
志向について調べるnishio.icon
ところが現象学の立場はそれと違う。それはむしろ立場のない立場であり、このような立場をすべて棄て去り、現象するものをその現れるままの姿に於て見るのである。 すべての立場をausschalten〈排除〉 し、 reines Bewusstsein 〈純粋意識〉の立場に帰って、現れるものを現れるままに schauen〈直視〉するのである。その時始めて何人も認めねばならない現象の本質Wesenが見られる。このようにして現象の本質を見て行こうとするのが現象学的方法 phänomenologische Methode である。(p.105) ではこのような立場から真理というものがどう考えられるかといえば、やはり一種の模写説に類するものになるであろう。フッサールは意識とは常に intentional 〈志向的〉なものである。何かの対象を intendieren 〈志向〉している。直観によって与えられた対象を志向している。そしてその志向作用が充実されるのが真理だという。従って彼の立場はやはり模写説的 だ と云ってよいであろう。尤もフッサールはもとブレンターノとボルツァーノなぞから出た人であるから、一方模写説的であると共に、他方むしろ明証説を新しく復活させた人だと云ってもよい。 (p.106) 志向性(しこうせい、独: Intentionalität)あるいは指向性(しこうせい)とは、エトムント・フッサールの現象学用語で、意識は常に何者かについての意識であることを表す。この概念はフッサールが師事したフランツ・ブレンターノから継承したものであり、ブレンターノは志向の対象の存在論的・心理学的状態を扱う際にこの用語を使った。 全ての心的現象は中世のスコラ学者が対象の志向的(もしくは心的)内在性と呼んだものおよび、完全に明確ではないが、対象つまり内在的対象性と我々が呼ぶかもしれないものによって特徴づけられる。あらゆる心的現象は、必ずしも同じようにではないが、自身の内に対象として何者かを含む。表象においては何者かが表象され、判定においては何者かが肯定または否定され、愛においては愛され、嫌悪においては嫌われ、欲望においては欲望され、…というように。志向的内-在性は専ら心的現象が持つ特性である。物質的現象はこのような特性を示さない。したがって、心的現象はそれ自体の内に志向的に対象を有する現象だと定義できる。
p.32〜33 志向性の説明
志向的対象は現実の対象にない特徴を持つことができる
現象学では「対象を志向すること」に必要な構造に注目する
意識自体も対象になり得る
マッハの帯(マッハバンド)
誌面の図ではグレーの色調が悪くてわかりにくいかもnishio.icon
2023-02-11
原子論的心理学
束仮説
ヴェルトハイマー
恒常仮説
ケーラー
ヘルマン格子
エルンスト・マッハ
マッハバンド
マッハの帯
ゲシュタルト質
知覚
環境
認知
4.2.2
クルト・レヴィン
動機づけ
アフォーダンス
誘引特性
行動の形態
form
forme
Gestalt
客観的身体
生きられた身体
5.3.1
身体図式
5.3.2
シュナイダー事例
5.3.3
運動志向性
志向性
ブレンターノ
スコラ哲学
ハイデガー
超越
最終的に、 メルロ =ポンティは、 カント的な超越論的観念論と経験的実在論の流れに属す見方を 擁護する。 p.138
知覚の恒常性
空間的形態
ゲシュタルト
エーレンフェルス
目次をやって行ってるけど巻末の用語集もやった方がいいのではという気がしてきたnishio.icon
https://gyazo.com/71fd69b19fb0b71bbb2b1ecb612e1761
でもすでにだいぶごちゃついてるしな…
ざっくり全体をやることを優先すべきか、どこかで区切って「ここまでをしっかりやる」べきか
1ポモドーロ、メルロポンティのところを読むnishio.icon
現象学は哲学と心理学の境界をあいまいにする
知覚対象の世界が「物質の充満した世界」ではなく「行動が現れる場」と考えた
ヴェルトハイマーは自然主義を維持したがメルロポンティは反対
フッサールの還元と似た構図
ゲシュタルト心理学の基本的な主張は現象学的還元を含意する
知覚
主知主義にも経験主義にも還元できない
周辺的知覚に注意を払うのは現象学的還元の遂行に似ている
現象野
現象学的還元
31,35,113-115
形相的還元
経験に伴う
偶発的 非本質的特徴
から本質的特徴へ
超越論的還元
経験の対象
から対象が構成されるしかたへ
主知主義 110,128
本書にほぼ説明なし
(イ) 認識論で、感覚主義や経験主義に対し、真理は理性によって得られると説く合理主義の立場。プラトン、アリストテレス、デカルト、カントの立場。
合理主義と同じとみなしていいんかな